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ゆく河の流れは絶えずして

とりとめない話です。

おもっくそスルーして欲しいです。










 ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。

 世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。 たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人のすまひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。

 住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかになひとりふたりなり。朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。

 知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。











もう二度と見られない

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景色を 

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しっかり目に焼き付け、

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心に刻み、

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もう来られないかも知れない街を

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数日に分けて、

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自分の足で確認しながら歩きました。

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自分の為の過去記事

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僕は内地(練馬)で生まれました。

だからエセ道産子です。

何処で聞いたんだか見たんだか、18歳までで、一番長くいたトコを出身地と言って良かったような気が・・・



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僕が小1の時、両親は離婚し、

僕は父と、弟は母と暮らす事になり、



忘れもしない小3の6月30日、父の仕事の都合で北海道で暮らす事になりました。



父には仕事関係の知り合いがいたようですが、母、弟は勿論、親戚もいない土地。

今だから笑って言えるけど、方言で相手の言っている事が分からない土地。

誰も僕を知らない、僕も知ってる人がいない土地。



元来人見知りな僕には色々ストレスが掛かっていた様です。



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数年前父に 「当時、お前の書く絵を見て、このままじゃダメだと思った」 と言われました。

「どーゆートコさw なしてさw」 と聞き返すと、「色使い、モチーフがおかしかった」 と真顔で答えられ、

それ以上は何も聞けなかったコトがあります。



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今回、写真を撮る事が好きだった父の、ほんっっっっっと沢山あるアルバムを全てチェックしました。

その中で、母、弟といる頃には僕が笑ってる写真があるのですが、

引っ越した小3の夏以降、僕が笑った写真が一枚も無い事に初めて気付きました。

どの写真もつまらなそうにしてる僕が写っています。





丁度その年に始まったドラマがあります。

『北の国から』というドラマです。

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コレは当時の僕です。

僕の名前は「ジュン」なんちゃら。  

余りにも自分に被り過ぎていて、初回しか見た事がないドラマ。





世の人がどんな思いであのドラマをご覧になってたのかは分かりませんが、

リアル『北の国から』の我が家にとって、世間でどんだけ話題になろうが、一度も話した事はありません。

僕は父を気遣って、父は僕を思い遣っていたのでしょう。



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『コナン』のロゴはスルーして。



でも一度だけ父を責めた事があります。



小5の時、友人と遊ぼうと思い、声を掛けたら、

「お母さんがいない子の家には遊びに行っちゃいけないって、お母さんに言われたから行けない。」

今考えると、特に悪気がある発言ではないのですが、当時の僕にとってはとても重い一言でした。





小3の時、僕がちょっと押したら倒れた同級生(男)がいて、肘だかを擦りむきました。

その晩、その子の母親から電話が掛かってきて、

「大事な息子が片親に大怪我させられた」「片親だからダメなんだ」「何で片親の子がウチの子のクラスに来たんだ」 

と、ワーワーギャーギャー捲くし立てられました。



その日は父が出張で家におらず、僕も小3ですから何も言い返せず、

ただ只管泣きながら 「ゴメンなさいゴメンなさい」 と謝ったコトがあります。

次の日、擦りむいた同級生がニヤニヤ近づいてきて、「昨日泣いて謝ったんだって?」 と言ってきやがりました。
それ以降ソイツをガン無視したのは仕方の無い事でしょう。
当時の僕はクラスでも人気があった方なので、自然と他の同級生もソイツを避けるようになり、
後日ソイツが泣きながら謝って来たのはまた別の話。


コレを父が知ったら悲しむな・・・ と幼心に思い、出張から帰った父に言うコトはしませんでした。





ですが、小5の時はダメでした。

色々溜まっていたみたいです。



同級生が担任に呼び出され注意された時、「+ひかりもやってるべや」と言ったら、

「あの子はもうダメだから」と担任が言っていた事を知ったりした時期でもありました。





「何で離婚したんだよ」 





あの時の父の表情が忘れられません。





自分で父との生活を望んだクセに。

自分で父について行く事を選択したのに。






その晩色々考えました。

父には父の生活、生き方があるんだ。

それだけの事なんだ。



僕には僕の生き方があるのだから早く自立しよう。

父がいなくても自分で歩いていける様にしよう。

人に頼るのではなく、自分で考え行動し、全ての責任を自分で取れるようにしよう。





その日から覚悟を決めていたので。

いつかこの日が来ると分かっていたので。



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ココにも思い出があります。

中1の時、引き取りに来た父に階段で蹴り落とされ、

隣の◯ッテリアとの間に立たされ、ボッコボコに殴られました。



ポタポタ流れ落ちる血を見ながら当時思っていたのは、

何で警察は止めに入ってくれないだろ・・・ 

ってコト。



でも、とんでもない事しでかしちゃったな。

とも思い、それ以降はバカは・・・ 







してたか。



自分を擁護する為に書いておきますが、それ以降は父に迷惑を掛ける事はしませんでしたよ。



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この前、娘と二人で祭りに出掛けた時、知らない老婦人に、

「良い育て方をしてらっしゃいますね」

と言われました。



僕は何もしていません。

父がしてくれた事をそのまま娘にしているだけです。

この事を父に伝える事が出来なかったのが心残りです。










8月10日。

実家が無くなります。

考えてみると僕は、あの家に約10年しか住んでいませんでした。



が、



帰る場所はあの家でした。

戻る場所と言ったらあの家でした。

待っててくれる人がいたのはあの家でした。





家が無くなっても、大好きな札幌にいつか「帰れる」と良いな。










この歌は小学校の時に習った歌です。

こんな恰好の良い曲ではなく、もっと切ない感じのメロディーだったのですが、

途中、実家が映っているのでこの曲を載せます。



合唱団のヤツよりボカロのヤツのが、僕が習ったのに近いです。

https://www.youtube.com/watch?v=PTC6h6N0Svo

見れないかも知れないのでコチラも貼り付けておきます。










念の為書いておきますが、

別に不幸自慢とか昔悪かった自慢している訳ではありません。



自分の事を不幸だなんて思った事、ただの一度も無いですもん。



しっかり愛情を持って育ててもらったと思うから・・・ 



じゃないな、



育ててもらいましたから。





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